「結果を出す」とか「結果を求める」という言葉がよく聞かれます。最近は結果だけを重視する風潮が社会全般に拡がっているように感じます。
過程を見ることは、結果だけを見ることにくらべ大変な労力が必要です。よりお手軽に評価するなら、結果の数字だけを見れば良いです。
しかし、子育てにおいても、会社や組織の人材育成などにおいても、育てるという立場になると、「過程」と「結果」をどう評価すべきかは大きな悩みの1つです。
◆ 結果重視が溢れている社会
100点満点のテストで10点を取った子が、自分で0を1つ加えて100点にして家に持って帰りました。親は当然気がつき、子供の不誠実な行いを叱りました。
大人の世界の日常にも同じようなこと溢れています。自分に都合のいい部分だけを報告してくる部下、不都合部分が見えない上手な文章で仕上げる稟議の数々。世間を騒がせた大会社の粉飾決算や耐震偽装、自動車の燃費不正問題も、0を自分で付け加えた子と本質的な部分で変わりません。
◆ 見せかけの結果が出てきたら要注意
もしあなたが人を育てる立場にいるなら、都合の良い結果だけを見せられたり、都合の悪い結果を隠されることに敏感になるべきです。なぜなら、あなたが求めているものを、子供であれ部下であれ、それに合わせ出しているというだけなのです。例えそれが事実を歪ませた不誠実なものであってもです。
◆ 結果を「褒める」と消極的になる?
テストの点数を褒められた子と、その過程のがんばりを褒められた子を2種類に分けた心理実験があります。点数を褒められた子は、次のテストではより簡単な問題を解きたがる傾向、がんばりを褒められた子は、次のテストではより難しい問題を解きたがる傾向が見られたようです。
このことから、結果を褒める言葉かけは、結果が求められるというプレッシャーを与え、子供は高得点が取りやすい簡単な問題に向かうという心理が伺えます。
◆ 人を育てるなら、結果重視は危険
積み木をしている幼児が高く積むことだけ褒められれば、高く積むことだけに熱中します。運動会の100M競争で、順位が高かったことだけを褒められた子は、次の運動会では、競争相手が自分より足の遅い子になることに神経を尖らせます。
「褒める」にしろ「叱る」にしろ、評価する側が評価するように人は育っていきます。
結果だけを重視することは、例えそれが見せかけの結果であっても、育つ側はそれで良しとする危険性があります。
◆ 「褒める」も「叱る」も観点が大切
「ほめて伸ばす」という言葉は聞こえはいいですが、評価の観点を大切にしなければいけないという点では、「叱る」と同じです。
成績がいつも最下位の子が、思い余ってテストのカンニングをすることも、成績がいつもトップの子が、思い余ってテストのカンニングをすることも、共に評価の観点によるプレッシャーです。
◆ 観点が過程そのもの
自信を持たせたいと思うなら自信を持つ観点、自発的に取り組ませたいなら自発的な観点、規律を守らせたいと思うなら規律を守る観点で「ほめて伸ばす」ことが必要です。観点に目を向けて取り組むことが、過程そのものです。
観点に目をやることが常になってくると、結果数字を他人と比べるだけのお手軽評価が、どれほど無意味で弊害の多いものかが分かるようになります。
勇作